お世話になります、指定石材店のオフィス石太郎です。
菩提寺の無い方や、お寺とご縁の無かった人の中には、法事と永代供養の関係について誤解をされている人もおられるようです。
以前、大学生の方々と永代供養やお墓について意見交換をさせていただきました。
この中で、誤解をされていた内容を、まずは紹介させていただこうと思います。
永代供養と法事について誤解されていたこと
永代供養をお願いすると、お寺が全部やってくれるので法事をしなくても良い。
我が家は、永代供養を頼まなかったから、法事をしなければならない。
永代供養のお墓に納骨するとお寺がお参りをしてくれるので墓参りの必要がない。
もしも、このように思っている人がおられましたら、全くの誤解です。
永代供養では、お亡くなりになった人の供養を、家族とは別にお寺でもお勤めいたします。
以前は、お位牌を二柱作り家族と菩提寺の双方でお供養をすることが主流だったように思います。
家族からの永代供養の依頼を受けた菩提寺は、定期的なお供養を長期間に勤めてまいりました。
最近では、檀信徒以外からの依頼も受付けていただける寺院が増えたこともあり、永代供養の内容も寺院ごとに取り決めています。
お寺とのご縁の無かった方は、納骨やお墓をキッカケに永代供養を知る人も多く「永代供養=納骨」と勘違いをされているケースも多いようです。
核家族化と共に、一時期は急激な仏教離れがありました。
最近の少子化の中では、今までお寺が担ってきたお供養の役割が理解され、永代供養に関心を示される方が増えてまいりました。
遺族は、四十九日を喪に服した後、百日後、1年後、2年後・・・と、仏教で定めた法事を寺院とともに行います。
遺族は、故人の追福を願い定期的なお供養をお寺に依頼をすることで、法事は勤められます。
永代供養を申し込んだからといって法事が免除されるようなことはありません。
また、永代供養のご納骨をされて場合も、お参りを免除されるようなことはありません。
遺族は、日々の生活の中で、時にはお寺と連携をとりながら逝去された家族のお供養をお勤めいたします。
これとは別に、お寺独自で故人様のお供養を定期的に継続して勤めるのが永代供養です。
永代供養を申し込んだからといって、寺にお供養を丸投げするわけではありません。
遺族は、四十九日を喪に服した後、百日後、1年後、2年後・・・と、仏教で定めた法事を寺院とともに行います。
法事は、故人の追福を願う行事ですが、親族が遺族を励ますという行事でもありました。
例えば、一周忌は小祥忌とも呼ばれています。
吉祥という言葉がありますが「祥」には、「めでたい」という意味があります。
人が亡くなってしまったのに「何がめでたいのか?」と疑問を持った人もおられると思います。
「めでたい」の意味が分からないのは、最近のご家族だけで法事をされるケースが多いのが要因だと考えられます。
昔は、法事には沢山のご親戚がお参りをされていました。
ご主人を亡くされたお宅の一周忌では、「家の大黒柱を失っても無事に一年を乗り切ることが出来ました」という遺族の報告を親戚縁者と喜び合うという行事でもありました。
「まだまだ悲しみは癒えませんが、何とか元気に暮らしています」という現状報告を聞いて、遺族を励ましたり元気な姿を喜び合う側面もありました。
無事に法事を行うことが出来て良かったことを、親戚縁者で確認しあって互いに喜び合ったことから小祥忌と呼ばれています。
また、三回忌は大祥忌とも呼ばれ、亡くなられて2年後に行われる法事です。
小祥忌の翌年に、無事に安定した生活を取り戻しつつある遺族を、互いに喜び合ったことから、大祥忌と呼ばれています。
亡くなられて6年後には七回忌をおこないますが、超祥忌とも呼ばれています。
文字の通りに、家族を亡くした災いを乗り越えることができたことを、皆が素直に喜び合う時期です。
法事は、失礼のないように喪服を着て行き、お坊さんがお経をあげている中で合図があったら順番にお焼香をするだけの行事に見えるかも知れません。
お亡くなりになった方から見た場合、遺族を囲む心強い親戚縁者の姿は、何より心強い光景といえるのではないでしょうか。