東福寺龍眠庵墓地指定石材店のオフィス石太郎です。
東福寺龍眠庵では、昨年5月より樹木葬と永代供養墓の受付をしています。
ご好評につき、永代供養墓「円満」の第一期受付分は残り1基、永代供養墓「庵」では残りが2基になりました。
永代供養墓「庵」は、今回受付の第一期をもって受付終了になります。
昨日は、完成したお墓のご見学に1件のお客様が東福寺龍眠庵にお越しでした。
東福寺龍眠庵の樹木葬や永代供養墓をご成約いただきますと、墓石に彫刻します文字の打ち合わせをさせていただきます。
また、樹木葬と永代供養墓「庵」をご成約のお客様は、2種類の中から好みの「わらべ地蔵さん」を決めていただいております。
墓石への彫刻作業が完了いたしますと、お客様に完成のご連絡をさせていただき、完成したお墓の確認をお願いしています。
ご確認にお越しの際には、弊社も東福寺龍眠庵墓地に行かせていただいております。
お墓のご確認後は、これからの法要についての説明をさせていただきます。
新たにお墓を確保される方の中には、生前建墓の方と埋葬を予定されている方がおられます。
東福寺龍眠庵の永代供養墓では、一般的なお墓に比べて生前建墓をされる方の割合が多いという特徴があります。
昨日、墓石の完成見学にお越しの方も生前建墓されたお客様でした。
一般には、墓石が完成いたしますと、開眼(かいげん)法要をいたします。
ご遺骨の埋葬を予定されている場合では、ほとんどの方が、埋葬法要(納骨法要)の日に開眼法要をされています。
新たに建墓されたお客様の多くは、開眼法要や埋葬法要を初めてされる場合がほとんどです。
そのため、法要の予約方法や手順、当日の持ち物などを説明させていただきます。
最近では、インターネットで調べると色々なことが解ります。
しかし、仏事に関しましては、地域による違いや、お寺独自のルールなどもあって、風習や習わしに関することは全国一律ではありません。
弊社では、このような風習や習わしを強制することはありませんが、京都近郊での一般例を交えながら説明をさせていただいております。
墓石の完成後に法要の説明をさせていただきますが、毎度頭を抱えるのが開眼法要の説明です。
宗派を問わない受付のため、宗派によっては開眼法要についての解釈がことなります。
ご住職の中には「建碑式と言ってください」など、ご指導いただくこともございました。
そのため弊社では、昔から開眼法要の際に墓前で行われてきた習わしを参考に「墓石の新築を家族一同で祝う場にしてください」という言葉を添えた説明をしています。
石材店の諸先輩から聞いた話では、昔は石材店なども招かれて墓前で簡単な食事などをしていたそうです。
そのため、帰社後には酒臭い先輩が仕事をしていることもありました。
先日、開眼法要の件で東福寺霊源院のご住職とお話をさせていただきました。
東福寺霊源院では、開眼法要の際に先に本堂で、お施主様宅のご先祖様のお供養のお勤めをされています。
その後に、墓前に移動をして墓石の開眼法要をされてきました。
筆者は、過去に多くの方々の開眼法要の立ち合いをさせていただきましたが、正直なところ何となく違和感を感じていました。
何故かといいますと、墓石の開眼法要を終えたお客様とお話の中で「何となく誰も入っていない墓に手を合わせるのは変な感じですわ」と笑いながら仰る方もおられたからです。
お仏壇では、生前に確保された方もご本尊様に向かって合掌しますが、この部分が墓石とは異なります。
墓石の場合は、開眼法要のための開眼法要といいますか、開眼法要を終えた時点で全てが一段落してしまっているような感じがしていました。
筆者は、特に生前墓を建てられたお客様には、これからの時間を有意義なものにしていただきたいという思いがあります。
生前墓の方も、お参りし甲斐を感じていただけるような改善はできないかを考えていました。
そこで、ご住職と相談をしましたら、開眼法要の際には墓石に護符を納めていただくという提案をいただきました。
生前建墓の方も我が家を護ってくださる仏様に手を合わせていただけるように、ご住職が護符を書かれるそうです。
少子化や核家族化の中では、お墓は必要最小限のものだけを残して、その他の部分はそぎ落とされてきているような印象を受けます。
父母や祖父母から教わった我が家の作法が、お墓参りの思い出と共に記憶に残るような、そのような環境整備が必要だと感じています。
核家族化の時代だからこそ、時にはお墓に集って我が家の大切な流儀を育んでいただければと思っています。
東福寺龍眠庵の庭には、樹齢200年以上といわれる椿の木があります。
30年くらい前にも、樹齢200年以上と聞きましたので、正確なところはよくわからないようですが、とても大きな木です。
数年前から花が小さくなって、花の数も減る一方でした。
樹木医さんが治療をしてくださっていて、昨年に比べて今年は沢山の花が咲いています。
淡いピンクの優しい色の花です。
織田信長の弟で織田有楽斎という人が、好んで茶席にこの種の椿を活けたことから有楽斎椿と呼ばれるようになったと聞きました。
ご住職の話では、昔は遠方からも椿を見にお越しの方もおられて、お寺の塀の向こう側の道路には沢山の椿の花が落ちたそうです。
樹木医さんの努力で、少しずつ元気を取り戻しているようで、また来年が楽しみです。