東福寺龍眠庵墓地指定石材店のオフィス石太郎です。
龍眠庵墓地の永代供養墓や樹木葬の見学にお越しのお客様のほとんどが無宗派です。
ほとんどのお客様が「実家は〇〇宗ですが、宗派には特にこだわりはありません」と仰います。
神様や仏様を一切信仰しない無神論の人とは違い、無宗派の人の多くは今まで特定のお寺との関わりがなかった方々です。
無宗派の人が永代供養を希望すると聞いて、何となく違和感を感じる人がいるかも知れません。
時代を遡って調べてみると、必ずしも宗派の教えに共感してお寺との関わりを持ってきたとはいえない歴史がありました。
日本人は、自然現象に神の存在を感じるなど、広く自然を神々として崇めてまいりました。
仏教に出会う以前の全ての人は無宗派でした。
江戸時代の民衆は、幕府が命じた寺請制度によって、各自の信仰心を反映することなく個々のお寺に振り分けられました。
その頃のお寺は、檀家の身分を証明する寺請証文を発行するなど市役所のような役割を担っていました。
寺請制度には役場のような組織を作って人々を管理するという目的があった訳です。
、人々が和尚さんと出会ったことは、仏教への信仰心を育む機会でもありました。
寺請制度の歴史の中で、家族やご先祖様のお供養を所属するお寺の和尚さんが勤めるようになりました。
その後も寺と檀家の関係に、引き継がれていきます。
明治を迎えて寺請制度はなくなりましたが、檀家という言葉は今でも使われています。
最近では、お葬式や法事の際に、お寺に声をかけていただく家を檀家と呼んでいます。
檀家という言葉に重荷を感じる人が多いことから、信徒さんや信者さんなどと表現する和尚さんもおられます。
各お寺は、宗教法人になり代表役員や責任役員、会員などで構成される組織になりました。
専業寺院での和尚さんの生活は、御布施ではなく法人から支給される給料によって支えられています。
現代では、誰からも宗教を強要されることはありません。
このことを「宗教離れ」と表現しながら仏教界では問題視している傾向があるようです。
しかし、筆者の人生を振り返っても、和尚さん以外に宗派の教えを理解する人に逢ったことがありません。
しかし、お寺離れは進んでいるように感じます。
寺請制度が廃止され役場としての役割を終えた以降は、時間をかけて「住職家族の家」「お寺は他所の家」という雰囲気が定着していきました。
何となくお寺は敷居が高いという印象を持ってる人もおられます。
最近では、宗教は金がかかるなどのイメージが先行してしまっているようにも思います。
このような状況の中でも、御朱印を通じて本堂参拝の推奨や、宗派を問わないお供養の受付など、新たな取り組みをするなど努力をしています。
少子化を身近に感じる人が増えてまいりますと、無宗派の方々が永代供養を希望して相談に来られています。
寺請制度~檀家(家)制度と引き継がれてきたものは、少子化や核家族化の時代を迎えて次のステップに進んでいます。
少子化や核家族の時代では、お寺の存在が見直されています。
永代供養や永久墓の登場など、過去にはなかった取り組みを始めているお寺が増えています。
核家族では、我が家を中心にお墓の場所を決めて良いものかを悩む人がおられるのではないかと思います。
自分の希望と子供の気持ちを両立することが難しい場面もございます。
「私達は、”このお寺”の世話になるが、後のことは子供の好きにすればよい」
様々なお寺の取り組みがあって、このようなことが可能な新たなお墓の選択肢も生まれました。
龍眠庵や霊源院の永代供養墓は、お二人の永代供養料を基本費用に含みますが、先々に必要に応じた人数の追加をしていただけます。
また、いつでもお墓参りをしていただけますが、お参りをされる方がいなくなってもお寺がお墓の維持をいたします。
核家族化の時代では、永代供養墓のような後継者への負担が少ないお墓を通じて、お寺との新たな出会いに繋げる方もおられます。
お供養という共通の目的の中で、まずは和尚さんとの初対面を果たし、年齢と共に仏様やご先祖様に目を向けるというビジョンを描いている方が多いように感じています。
少子化や核家族化が身近な問題になってまいりますと、それに対応したものも生まれてまいります。
先人達から引き継いできた習わしも、時代に合った形へと少しずつ変わっています。
このような変化を是とするか非になるかは、その時々の出会いによって左右されるのではないかと思います。
過去には、檀家さんだけのものであった永代供養も、最近では一般にも公募されるようになってまいりました。
以前と比べてお寺の敷居は低くなってきていますので、遠慮せずお寺に相談の電話をしてください。